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【LEVEL.∞】ものもらいと信仰者の違い

【LEVEL.10】KoJi,s Mail Magazine ~統一場理論の道標~KoJi,s・Code
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 この文章を読んでいるような人は かなりこうしたスピリチュアルな分野に敏感な人たちでしょう。

 しかし、その中で日常瞑想をして、かつてイエスと釈迦が示した簡単な七つ程度の戒律を意識的に守り、法華経や聖書を暗記している、このような人はひとりもいないでしょう。

 そして自分はこの人生において『解脱』し、『アラハン』となり、さらに『如来の言葉』をこの世界に広げる『菩薩』となろう。自分はなにもいらない、ただこの世界に『如来の教え』がひとりでも多くの人に伝えられればそれでいい、こんなことを意識している人はひとりもいないでしょう。

 それどころかこれとはまったく逆に、「お金がほしい、結婚したい、病気が治りたい、もてたい、成功したい、幸せになりたい、他人なんかどうでもいいから、自分だけよくなりたい。」

 そしてこんな物欲をみたすためにアガスティアの葉をとったり、サイババのところへいったり、妙な宗教団体にはいって題目や念仏を唱え、お金お金、結婚結婚、成功成功、こんなことばかり一生念じて人生を終えます。

 すると当然、アガスティアアートマカンダムでそんな人たちのあの世での行った先をみると、必ず地獄におちてもがいている、これが結末です。

 そしてまた、同じ物欲によって地獄から何万年も苦しんだあと、生まれ変わってふたたび同じことを繰り返す、こんな姿を お釈迦様は『六道輪廻をただ意味もなくぐるぐる回っている亡者の姿である』と説明しています。

 つまりこれは信仰ではなくて単なる『ものもらい』なのです。

 イエスとその弟子たちは『この宇宙の構造と人間が神と進化する技術をこの世界に広めるため』にみな命をうしないました。

 しかしその後、この世界において彼らは神となり聖者となり、人間を支配する存在となりました。

 金持ちが物欲を脱却し、瞑想し解脱してこの六道輪廻を克服し、モクシャ、つまり「天国に入ることは楽だが、針の穴をとおることより、むずかしい。」とイエスは弟子におしえました。

 その位、物欲を克服することはむずかしいことです。

 しかし、この文章を読んでいる人たちは そろそろ、神に対する御利益もらい、『ものもらい』から、六道輪廻を超えて『菩薩』になる準備をはじめてください。

 サイババ講話の中でもサティアは、「わたしが手から下らぬものを出してそれを欲しがったり、またわたしに病気をなおしてもらったり、とるにたらない出世を拝みにきたりしていてはだめです。」と、語りました。

 サイババは「わたしはこの世界のひとたちを解脱させるためにきたのだ。」と教えました。

 しかし、この世の人たちの物欲があまりに強いので最初の段階は超能力を使ってしばらく彼らの要求にこたえて、人が集まるままにしていましたが、いよいよ『あなたがたに本当の解脱を教え、六道輪廻から脱却し、神の献身者、菩薩になるための指導をはじめる』と宣言しています。

 この意味をよく考えて、この文章を読んでいるみなさんも、そろそろ、『ものもらい』から『菩薩』へと入る準備に入ってください。



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